二話 遺跡の里6(ⅲ)

「ブヒコさん!」
 ディンの傍に駆けつけようとしたとき、目の前に仔ブタが立ちふさがって、ルーシェは声をあげた。
「ムリだ! 人間一人で、それもあんな子どもが敵うわけがない」
 だがブリリアントはうなずかなかった。
「本人の望みだわ(ぶぶひぶひぶふ)」
「でも!」
「自分で道を選ぶのよ(ぶふひびぎぶひぶひ)、誰だって(ぶぶつひ)。それを止める権利は誰にもないわ(ぴぎぶひぶぶぷぶひぶひぶぎびぎ)」
 いって、ブリリアントはディンに真摯な眼差しを向ける。周りを囲む炎に照らしだされた厳しい横顔が、意見を変えるつもりもなければ、ルーシェの行動を許すつもりもないのも読み取って、ルーシェもディンに目を戻した。

 すぐには動きだせないディンに、獅子の頭が、立て続けに炎のかたまりを吐いた。
 叫びかけて、ルーシェは顔を伏せる。これ以上見ていられなかった。そういう問題じゃないと怒ったディンの言葉の意味がよくわかった。見ている方が痛いのだ。
 だが見ていないともっと怖くて薄目を開けたルーシェは、炎の中から転がりでてきたディンに、ほっと胸をなでおろした。安堵したのも束の間、少年は幻妖に向かって駆け出した。
 向かってくるディンに、幻妖がまた火球を吐きつける。ディンは体を横に倒すことで炎を避ける。だが蹴られた脇が痛むのか、かわしきれず炎が二の腕をかすめた。利き腕の袖が勢いよく燃えあがる。ディンは袖をつかむと、一気に引き裂いた。燃える袖を放りだし、勢いをゆるめず幻妖に襲いかかった。
 横様から、獅子の頭と山羊の胴体との継ぎ目を狙い、剣を叩きつける。人間相手だったら有効な一撃だったが、幻妖にはかすり傷せいぜいだ。たてがみを波打たせ、幻妖が頭を一振りする。ディンの方がその圧力によろめいて、尻餅をついた。転んだ少年の腿を、すかさず蛇が襲う。蛇の頭を持つしっぽに噛みつかれ、ディンは苦痛の叫びをかみ殺した。

「もう……もうやめて。もうやめるんだ、ディン!」
 顔をしかめるブリリアントが、目の端に映る。けれどルーシェは叫ぶのをやめなかった。
「おまえに、何ができるっていうの? おまえ一人の力なんて、あってもなくても同じじゃないか。目の前の幻妖に傷もつけられないじゃないか!」
 ディンは振り返らなかった。まっすぐ幻妖と対したまま、低く答える。
「それでも俺は騎士だ」
「おまえの歳じゃ、まだ正式にじゃないだろ」
「関係ない。俺が騎士だと名乗るのは、俺の覚悟の問題だ」

 ――俺は水面を揺らす、最初の一雫になりたい。

 何故ディンだけが毅然としていられるのだろう。
 大事なひとを亡くしたとき、大切な何かが失われようとしているとき、何かに願うことは罪なのか。奇跡の力にすがろうとするのは、とがめられるべきことなのだろうか。
 どう考えても普通でないのはディンの方だ。彼は子どもで、まだ何も知らないから、つらいことも、悲しいことも、耐え難いことも、何も知りはしないから、だから超然としていられる――そう思っていた。
 でも。
 彼は目の前で仲間を殺された。自分もまた死を覚悟しただろう。
 けれど、子どもだからと、ルーシェがそう思っていたかったのだ。

 体を縮めて苦痛に耐えるディンを、ひづめが襲った。転がって刺突を避け跳ね起きたが、体の平衡を崩してよろける。そこをすかさず尾の鞭の一閃が襲い、ディンは吹き飛ばされた。何度跳ね飛ばされようと手放さなかった剣が、ディンの手元から弾き飛ばされる。
 もういい加減限界なのだ。息を呑んだルーシェの横を、薄桃色の疾風が駆け抜けた。ブリリアントがディンの元へと駆けつける後ろ姿に、ルーシェはまぶたを閉ざした。絶望にも似た思いが胸をふさいでいた。
 采は投げられた。ブリリアントは決めてしまったのだ。

 目を開けると、ディンは片膝をついていた。もう立ちあがる力もないのだろう。それでも蛇に噛まれた方の足をついたまま、目は向かってくる幻妖を見すえている。後ろ手に地面を探っている手は、剣を探しているのだ。
 指先が剣にふれる。手繰り寄せ、ディンはしっかりと剣の柄を握りこむ。
 そして――。
 迫ってきた幻妖が大口を開け、躍りかかる。牙が並ぶ口へと、ディンは剣を突きあげた。
 断末魔の咆哮が轟いた。重い音を立てて幻妖の体が横様に倒れこむ。険しかった表情がゆるむと、わずかに遅れてディンもまた横様に倒れこんだ。

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