二話 遺跡の里6(ⅰ)

 吹きあげる風に、髪と衣の端が音を立ててひるがえる。里を席捲する炎が生みだす上昇気流に、気を抜くと体をさらわれそうだった。
 うなりをあげ、大地を舐めつくしていく炎はまるで、腹を空かせた獣だ。人家も、青々とした耕地も、道端に立つ木々も、お構いなしに呑みこんでいく。
 いや、とルーシェは自分の考えを自分で否定する。いくら腹を空かせていても、獣は己が必要としないものまで狩りはしない。なにもかも呑みこむ貪欲さは、すべてを破壊せずにはいられない幻妖にこそ似ている。この炎を生みだしている、幻妖さながらに。

 気流にあおられながらもルーシェは、空から眼下の赤く染まった大地に目を凝らす。
 転んだ子どもを、さらうように抱えあげるのは父親だろうか。足を患って思うように進まない老婆を、両側で支えているのは子か孫か。乱雑に積みあげた荷が転がり落ちるのにも構わず、手押し車を牽いて走る者。片手に荷物を、片手に暴れる鶏を抱えている者、炎に怯える牛を力任せに引っ張っている者もいる。だが、たいていは身一つで、燃えさかる火を避けて里びとは散り散りに逃げていく。

 火の手は西の方が強く、神殿のある東側にはまだまわっていない。たぶん西の端の方で火がでたのだろう。だとしたらその辺りにいるはずだ。気配を探りながらルーシェは、不甲斐ないおのれに忌々しく舌打ちをした。
 足下の光景を見つめているだけで、体がどうしようもなく震えた。火は嫌いだった。昨夜はディンが熱をだしていたから、焚かざるを得なかったが、焚き火や燭台の火などの、管理された火だって避けたいというのが正直なところだ。
 いやなことを思いだす――記憶の奥底に沈めておきたい、思いだしたくないもの。決して忘れることはできないけれど、忘れたふりをしておきたいもの。それを否応なく思いだしてしまうから。
 それでなくてもディンと出会ってから、あの子どもの言葉が神経を引っかくせいで、内側の目を逸らしているものと向きあわざるを得ない状況になっているのというのに……。

 しかし集中できないのは、炎のせいばかりではなかった。猛火の中を探る目が、どうしようもなく茫洋としてしまうのは、迷いがあるからだ。
 見つけてどうするつもりなのだろう……と。
 危惧はあったはずだ、もしかしたらこうなるかもしれない、と。なのに知らせてしまった何故だろう。黙っていれば、伝えなければよかったのか。誰にも知られることなく死んでいった男のことを。

 くらりと頭の芯が揺れる。ルーシェは空中でよろめいた。火の海に呑まれた里に、遠い昔見た光景が重なる。
 過ぎし日、火に包まれ滅びた都。
 見つけてどうするというのだろう――そう、もう一度己に問う。どこかにいってしまおうか。見つけなければ、どうにもしなくていい。どうにもできないのなら、いっそ気づかなかったことにした方がましかもしれない。
 逃避しだした思考の中、火の中をさまよっていた目が一ヵ所に吸いつけられ、止まる。ルーシェは苦く笑んだ。つくづく何もかも、自分の思い通りにはならないようだ。

 烈火に、黒い影が躍っていた。火に焼かれ弱るどころか、生き生きと猛る。別の生物のように意志を持って動く長いを尾を持つ、四つ足の異形。
「やっぱり、願わずにはいられなかったんだね」
 力なく呟き、影の前へと降下する。足の指先が炎を掠めた途端、同心円状に衝撃波が炎の海を広がった。力にふれた焔が次々に勢いを失い、焼けたあとだけが黒々と大地に残る。
 丸く炎を消し去った中心に、ルーシェは降り立つ。炎が消えたとはいえ、焼けた地面は熱を持ち、立ちのぼる熱気を挟んでルーシェは異形と向かいあった。

 炎を思わせるたてがみを有した獅子の頭、地面をえぐるように蹴りつける強力なひづめを備える山羊の胴体、毒をたたえた強力な牙をむきだしにした蛇の頭を持つ尾。そしてその目は、狂気を宿して紫色にまたたく。
 複数の獣の特徴を備えた醜い幻妖は、のどの奥で押しつぶされた声で、獰猛にうなりたてる。後ろ足で地を蹴る前傾姿勢は、いつでも跳びかかれると見る者に圧力をかける。蛇の姿をした長い尾も鎌首をもたげて牙をむき、全身から鬼気が揺らめき立ち昇っていた。
 恨んでいるだろうか。ルーシェは目を細め、対する幻妖を見る。ルーシェを覚えてもいないだろう。いや、認識していないという方が正しいか、そんなことを考える力さえないというべきか。幻妖はすべて、生まれたときから正気を持ちあわせていない。狂気の虜だ。

 殺すのか、この幻妖を。彼と同じに、この手で。
 この幻妖もまた、道を選んだのだ――己で。強制されたわけではなく、ルーシェが自身で道を選んだように。自分で選んだ道だから、どういう結果になったところで誰に責任のあることではない。
 自分たちが選んだのは、後悔したところで返すこともできない道だ。もう進むしかないのだ。自分が信じた道を、ひたすら進むしかない。そうして進んできた。自分の進む道を、ただたどってきた。
 躊躇しても仕方がない。わかっていても体が動かなかった。信じた道を、どうしても今は進むことができなかった。
 ルーシェは結んでいた視線を、顔を伏せるようにして外す。

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