二話 遺跡の里5(ⅱ)

「ディンどの!」
 一気に門のところまで駆け抜けたディンは、呼びとめる声に振り返った。聖堂の前では集まった人々が、声高に何事か話しあっている。視線で声の主をさがしたディンは、かたまりから抜け小走りに短い階段をおりてくる老司祭を見つけ、小道を駆け戻った。
「幻妖がでたとか!?」
 短く確認すると、司祭は勢いこんでうなずく。
「そうです。今、起こしにまいろうと思っていたところでした。あっという間に炎が燃え広がって、各々逃げだすだけで精一杯で……」
「他の寺院に連絡は?」
「今し方、のろしを上げ、伝令を走らせました」
 こんな田舎では、騎士など一人も配されていない。騎士を抱える他の寺院に連絡を取り、応援を呼ぶのが先決だった。近辺の一番近い寺院がどこかは知らないが、すぐに応援をよこしたところで、今夜中に到着することはないだろう。早くても明日になってからだ。
「では司祭さまも、里の皆とともに避難を」
 早口に告げて、きびすを返したディンの腕を、シワだらけの手がつかんだ。

「お待ちなさい。どこへおいきになるつもりですか?」
「幻妖のところへ。倒せないまでも、みんなが避難するまで時間を稼がなければ」
「いけません!」
 先にルーシェがいっている。心配ないのはわかっているが、時間が惜しい。声につい苛立ちがまじるディンを、老司祭が厳しくたしなめた。昼間の彼からは想像できない強い口調だ。見上げる司祭の厳めしくゆがめられた顔に、祖父の顔を重なった。
「あなたのような子どもこそが、先に避難するのです。私たち内勤めの内官でも、気をひくくらいのことならばできます。里の者とともに、早くお逃げなさい」
 昼間、司祭はディンの言葉を、子どもになにができると一蹴しなかった。志を同じくしていたいといってくれた。うれしかったのに、彼までもが子どもだからというのかと、失望が胸をえぐる。自分がいって、なにができるわけでもないことぐらいわかっている。いやかえって、足手まといになるだけだろう。それでもルーシェにすべて押しつけて、安全な場所に逃げているわけにはいかない。それは、ディンの覚悟の問題だ。
 拘束する手を振り払おうとして、しかしディンは思いとどまった。

 腕をつかんだ手が、震えていた。里びとや他の僧の手前、不安な様子は見せられないのだろう。なにより司祭自身が、自分にそれを許せないのかもしれない。しっかりと背筋を伸ばし、毅然とした態度を努めているが、よく見ると顔色も悪い。怖くないわけなどないのだ。
 どういう理由でかわかっていないが、田舎よりも人間が多い都市部の方が幻妖の出現率は高い。エスタークのような田舎の里で、まして内官では、幻妖など見たこともないだろう。
 そんな老司祭がディンを気づかい、まして里びとが逃げる時間を稼ぐため、幻妖の前に立ちはだがろうというのだ。彼が優しく強い人間であることは間違いない。もう十分いっぱいいっぱいの状態だろう彼に、この上ディンの内心を察しろなどと、とうていムリだ。
 だいたいディンの闘いは、幻妖と戦って勝ちをおさめるためのものではない。自分の覚悟を見せることこそが、ディンが自分に課した闘いなのだ。肝心なことを忘れ、案じてくれた司祭にいらだつなど、自分もまためいっぱいだったようだと、内心で反省する。

「司祭さま。俺はいきます」
「なにをおっしゃっているのですか? 子ども一人で幻妖に敵うと……」
「敵わなくとも」
 ディンはシワ深い手に自分のそれを重ねる。交わった視線が、二人の間の均衡を崩した。
「それが俺の選んだ道です。ここで曲げては、幻妖の王など倒せない」
「ディンどの……」
 力の抜けた老司祭の手を押しかえし、ディンは駆けだした。勢いよく門を走りでたディンは、幻妖の姿を求めて辺りに視線を鋭く配る。どこもかしこも火と煙にまかれ、見通しが利かない。よそ者で土地勘のないディンには、どこに幻妖がいるのか見当さえつかない。
「ぶひっ!」
 どこに幻妖が出現したのか訊いてくるべきだったと後悔しかけたとき、仔ブタの鋭い声が耳を打った。振り返ったディンを確認すると、ブリリアントは背を向け走りだす。ついてこいといっているのだと了解して、ディンも仔ブタの背を追って駆けだした。

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