二話 遺跡の里2(ⅱ)

 厳しい横顔を見せる仔ブタの隣に座りこんで、ディンは小さな頭をなでる。いぶかしく振りかえった顔に、笑って一つうなずいてみせた。
「大丈夫。今に帰ってくる」
 待っているのがディンだけなら、ふらっといなくなることはいかにもありそうだ。だが、大切な娘なんだと、大事そうに語ったブリリアントをおいて消えるなんてことは、いくら気まぐれなルーシェでもさすがにないだろう。
 だが安心するどころか、顔をしかめて何ごとかをいいつのった。だが残念ながら、通訳(ルーシェ)を介在させず、ディンにブリリアントの言葉は理解できない。仔ブタの方もすぐに意志の疎通がかなわないことに考えがいたったのか、忌々しげに舌うちして、つんとあごをそらした。
 明らかにディンの無能を責めているようである。仔ブタのほうは人間の言葉を解しているようだから、反論しようがない。ディンは頭をかいてまた敷地の外へと目をはせた。

 目をこらしてみたところで、みな農作業にでているのか里人の姿でさえまばらだ。それでも、今にも歩いてくるルーシェの姿を求めてしまう視界を、人影がさえぎった。
 聖堂の裏手には、老司祭と会っていた僧房がある。そちらからふらりと現れたのは、妙齢の女性だった。
 とっさにディンは腰を浮かかけた。現れた女のひとがなにかにつまづいたのだ。よろめいただけでなんとか持ちなおした彼女に、安堵の息をついて腰を戻す。
 寺院のお仕着せを着ていないところを見ると、僧ではなく里の者だろう。彼女の背を目で追いながら、ディンは眉間にに力が入るのを感じていた。
 足取りが普通ではない。ふらふらしていて、歩く速度も一定しない。様子がおかしいのは明白だった。
 女の背を目で追いながら、とっさに腰を浮かしかけてはもどすことを繰りかえしていたディンは、彼女の手から光るものがこぼれ落ちたのに気づいて駆けよった。

 ディンは落ちたものを拾いあげ、複雑な気分で見つめる。祈祷石だった。彼女のものなのだから、持ち主にかえすのが当然だ。だが果たして、かえすことが彼女のためになるのか。
 逡巡していたディンは、ふっと息をはいた。所詮すべてはディンの憶測にすぎない。一度ぎゅっと祈祷石を手の中に握りこむと、ディンは意識を切りかえて彼女を追いかけた。

 声かけに振りかえった彼女に、ディンはたじろぐ。二〇代前半くらいだと思うが、ずいぶん老けて見える。頬がこけ、目が落ち窪み、くまが黒々と浮きでているのだ。血色の悪い顔は、とても外出できる体調には見えなかった。
 生気のない様子にちゅうちょしつつも、ディンは手をさしだした。その手を見、そしてディンを見る彼女の目は、焦点があっていなかった。

「大丈夫……か?」
 あんじる言葉を口にしたディンは、けれどすぐに後悔した。かけた声に、彼女の焦点がゆっくりとあった。ディンを認識して、彼女は一度ゆっくりまばたくと、笑顔を浮かべて頭をふる。
「大丈夫、ちょっとぼんやりしてただけなのよ」
 不自然な微笑みが痛ましい。無理をさせてしまったようだ。
「拾ってくれてありがとう。これ、とっても大切なものなの。なくしたら、ものすごく後悔するところだった」
 腰をかがめて目線をあわせた彼女は、笑って手を伸ばす。何でもないことのように振舞おうとしているが、ディンの掌から祈祷石をつまみあげる指先がふるえていた。

「大事なひとがくれた、大切なものなのよ。本当によかったわ。ありがとうね」
 ディンは黙って頭をふった。下手に気づかうことが、また彼女に無理をさせる結果にしかならないと思ったからだ。だがそれももう、今さらの気づかいなのかもしれない。
「本当に、本当にありが……と……」
 胸にそっと紫の玻璃玉をだきしめる彼女の声が、か細くふるえる。嗚咽がこぼれ、彼女はたまらず顔をそむけた。
「ごめんね、本当……ごめんなさい」
 こらえきれない様子できびすを返す。涙を落とす背中に、声をかけることもできなかった。門から駆けていってしまう彼女を見送ることが、ディンの精一杯だった。

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