二話 遺跡の里2(ⅰ)

 長く細い息をつく。組んでいた指をほどいて、何度か手を握ったり開いたりしてみる。祈るとき、手の中に祈祷石を握りこまなくなってずいぶん経つ。しかし、いまだ違和感がぬぐえない。物心ついたころにはもう、祈るときには自然に握っていた。

 ディンは胸のあわせから、淡い紫色した玻璃玉を引っ張りだした。成人男子の親指のくらいの玉に、首にかけたままでも握りやすいよう、首飾りにしては長めのヒモがついている。祈祷石という、祈りのときに手の中に握りこむ玉で、紫煌石を模しているのだ。ディンがこの石を用いなくなったのは、疑念からだった。

 この祈祷石こそが、すべての元凶ではないかという気がするのだ。

 熊の姿をした幻妖が倒れ、消えたその跡に、キラキラと光を乱反射する何かが落ちていた。水晶か玻璃かそんなものが砕けたような、透明な尖った多面体のかけらだ。
 幻妖が倒した跡にはかならず、なにかの破片が残っている――そう書き残した父の手記の通りに。

 そこそこの大きさがあるから紫に見えているが、祈祷石の色は本当に淡い。小さな破片になってしまえば、きっと無色透明に見えるに違いない。量的にもちょうど、祈祷石が砕けたくらいの量だ。
 もちろん、幻妖が祈祷石を持っているはずもない。人々には無料で提供しているが、玻璃自体が安価なものではない。それがいつも幻妖が倒れたあとに砕けて落ちているのは、やはりなにかの意味があるのだと思える。

 疑念は、今はまだ誰にも話していない。ひとに話すには多くの確証がいるからだ。そうでなければ祖父にまた、子どものくせにといわれるのが関の山だろう。ためいきをついて祈祷石を服の中にしまいなおし、誰もいない堂で一人膝を折っていたディンは立ちあがった。

 どこの寺院の聖堂も、規模の大小はそれぞれとはいえ、基本的な構造はおなじだ。石造りの堂の最奥に、紫煌石を模した紫色の玉を胸にだくのは始祖セシリアの像だ。そのまえには燭台や捧げ物がまつられる祭壇がもうけられている。しかし基本がおなじでも、ディンがよく知る総本山の聖堂と、ここエスタークのそれとでは、大きく印象がことなった。

 総本山の聖堂はもっと大規模で、荘厳だ。大理石の床と壁。高い天井を支える太い列柱群。堂内におかれた神具はすべて金銀宝玉でできていて、天井や壁には、教祖が紫煌石とであい神の声を聞いたときの様子、中興の祖である大聖人ジャスティンが幻妖におびえる人々をみちびく様子、騎士たちが剣をたずさえ幻妖にいどむ姿などを描いた壁画や色玻璃が配され、それらを多くのろうそくが揺らめきあい、響きあいして照らしだす。

 対してエスタークの聖堂のなによりもの装飾は、色玻璃の窓から投げかけられる光だろう。教祖セシリアを描いた色玻璃を組んだ窓は、ゴートのものと比べればお粗末だ。しかしむきだしの石壁に色のついた光が映え、他にはなにもないぶんかえって幻想的だった。
 寺院の規模による差異なのだろうが、つねづね装飾過多をわずらわしく感じていたディンは、司祭の人柄がしのばれる、清潔で質素なここのほうが好ましかった。

 窓から射しこむ色のついた光が長い影を落とし、かげりつつある日を感じさせる。ディンはセシリアの像に一礼して堂の出口へと向かった。扉をでると短い階段のむこうに、花壇で縁取られた小道がまっすぐ伸びる。つきあたりには木材でできた門と、門に連なる低い柵とが、寺院と集落、その周りに広がる青々とした耕地とを隔てていた。
 ディンは柵のむこうへと一瞥をなげる。求める姿を見つけられず、扉の脇へと目をむけた。視線の先では仔ブタが、前足をそろえて座りこんでいる。またたきもせず寺院の門のむこう側を見つめる姿は、彫像かなにかになってしまったように、ディンが聖堂にこもる前と変化がない。まるで目を離すことを、おそれているかのようだった。

「ルーシェは……まだか」
 声をかけ、再び門のむこうに目を向ける。だが待ち人は、現れる気配さえない。
 狼の案内で森を抜けた場所は、街道よりも東よりで、次の里のほうが近いくらいの位置だった。戻ることになってもエスタークによったのは、用事があるとルーシェがいいだしたからだ。一刻も早くドレイクたちを迎えにいってほしいディンにも、現場に近いこの里によることに異存はなかった。
 地に足を降ろした途端、素足だった足に靴を履き、目の色は平凡な青みがかった灰に、服装も旅人らしい格好に変化したルーシェとは、里に入ったところで別れたきりだ。
 一人去る背中に寺院で待っていると声をかけたが、いまだに現れる気配はない。離れて行動することなど今まではなかったのか、ブリリアントは犬のような忠実さでルーシェを待ちわびていた。

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