一話 大志を抱く少年7

「変わったお子じゃ」
 人間の子の背中を見つめながら暖かくつぶやく古木の様子は、孫を見守る好々爺そのものだ。 ディンはといえば、古木が道案内につけてくれた狼に、神妙な顔でよろしく頼むと頭をさげている。ブリリアントの通訳に鷹揚にうなずく狼は、満足そうな様子だ。
 この森の奥深くへとは、近隣の者でも足を踏み入れることはない。古木を守るために、森に住む動物たちが人間を遠ざけているのだ。
 人間は幻妖を区別しない。たとえ命を救われたとしてもだ。
 ディンのような反応を示す者は、皆無といっていい。

 苔むした古木の脇に背を預けて腕を組み、ルーシェもまた少年の背を目で追いながら、口元だけで笑んだ。
「そこいらのやつよりは肝が座ってるは認める。でも、ただ子どもなだけだ。本当につらいことも怖いことも知らないから、いくらでも無謀になれる、無茶ができる。どんなに頑張ったところで、かなわないことがあるなんて知らないから、なんでもできると思いこんでる」

 だが本当に子どもなのは誰だ?
 自分には何もできないと、悔しがるしかできなかった。できることがあるなら、命を懸けてもいいと思うほど真剣だった。自分が犠牲となり平和が訪れるなら、本望だと思った。

 ――志半ばで死ぬかもしれないが、それでもいい。

 しかしその気持ちは、そういったディンの覚悟とは違っていなかったか。

 ――俺は水面を揺らす最初の一雫になりたい。

 昨夜聞いたディンの声が耳に返って、ルーシェはきつくまぶたを閉ざした。
何故あんな子どものいうことに、これほどまで心動かされるのだろうか。

「それでも、あのお子ならばと思えるなにかがあったんじゃろう? だからあの子になにもかも託そうとしておるんじゃろう? おぬしの長年の望みをかなえてくれるかもしれん、と」
 ルーシェのことを思ってくれているのはわかる。だが今は古木の気持ちが忌々しかった。
「知っているくせに。それを決めるのはわたしじゃない。ブヒコさんだ」
 そろそろいこうと手をふるディンに、わかったと笑って手をぶり返しながら、ルーシェは古木に答える。
「じゃがすべてを知れば、あのお子は傷つくじゃろう……」
 ぽつりと落とされた、やるせない憂いをふくんだ声に、ルーシェは笑む。
「ルーシェ」

 時間だけは無駄にあった。そのぶん長いつきあいだ。だから何か感じるものがあったのかもしれない。
 歩きだしたルーシェの背を、古木がせっぱつまった調子で呼びとめた。
「これが最後だとはいわんでおくれ。どうか、なにもかも終わりにする前に、もう一度だけでも会いにきておくれ」
 友人の哀願に立ち止まって耳をかたむけていたルーシェは、だがふり返りも答えもしないまま再び歩きだす。
 むかう先には、少年が希望を胸に待っている。
 意志の強そうな目をした子ども。ただの子どもだ。
 なにもわかっていないだけの子ども。

 なのに何故、これほど神経を逆なでられ、いらいらさせられるのだろう。少年の言葉がいちいち引っかかり、自分でも驚くほど簡単に頭に血がのぼる。
 自分の中にこんなにも暗いものが存在しているとは思わなかった。
 いらだちが募り、我慢できないと、許せないと胸の奥底にわだかまる闇が訴える。

 なにも知らないなら、なにもわからないなら、ならば――思い知らせればいい。

 ジジイ、確かにあんたのいう通りだよ、そう心の中でつぶやく。
 ディンだからすべてを託してもいいと思った。ただ古木が思っているのとは意味が違う。

 思い知ればいい――あのなんでもわかっている顔をした子どもに、気づかせてやればいい。

 待っていたディンの前に立ち、ルーシェは屈託なく笑んでみせる。
「お待たせ。さあ、いこうか」
 うなずいて歩きだすディンの背を見つめ、ルーシェは目を細める。
 この世はおまえが思うほど単純なものじゃない――必ずそう、思い知らせてあげる。

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