一話 大志を抱く少年5(ⅰ)

 おぼろにゆがんだ視界いっぱいに、淡い桃色が広がっていた。一度大きく風が吹きつけて、桃色がはなれていく。遠ざかってようやく、ブリリアントの鼻だったのかと認識できた。
 吹きつけた風は安堵の息だったのかもしれない。

 こぶたの背後に炎が見えた。昼でも暗い森だ。
 それでも日が落ちたあとの闇とは違っていて、今が夜だと察しはつく。だがいつの間に日が暮れたのか、記憶になかった。
「体、つらい?」
 記憶をさかのぼる間もなく、ブリリアントに変わってルーシェがくもった視界をふさぎ、ディンはまばたいた。
 心配げに問われた意味がわからなかったのだ。
 まばたきした拍子にすうっと、生ぬるい感触が目尻をつたい、途端に視界が晴れた。それは耳の上辺りを抜けて、髪の中へともぐっていく。軌跡を親指の腹でたどられて、ディンは初めて自分が泣いていたことに気がついた。

「ほら、水」
 半身を抱き起こされて、水筒に口をつける。ささいな動きにもきしみをあげる体に、ディンは顔をしかめた。
「あっちこっち痛い」
「斜面を滑落したから。半分は熱のせいだね。傷から発熱したんだろう」
「ちゃんと手当てしたのに……」
「炎症を起こしてるんだよ」
「炎症?」
 ルーシェはディンを寝かせながら、あきれた息をつく。が、すぐに口元をほころばせた。
「ったく、おまえって。しっかりしてるんだか、そうでないのか、ホントわかんないね。大人びた口をきくかと思えば、暮れかけてるのに平気で山道を歩いていくし」
「やっぱり夜の山道を歩くのはまずかったか」
 ルーシェはさっきより大きく息をつく。だが、ふときまりが悪そうな様子で目をそらした。

「悪かったよ。熱があるの、気づいてやれなくて。おまえ、普通に話してたから。でも、かなりしんどかっただろ」
 ルーシェは目も合わせず小声でぼそぼそ話す。ディンは思わず笑ってしまう。その仕草は、自分などより彼女の方がよほど子どもみたいだ。
 これは彼女なりの謝罪なのだろう。
「全部、慣れない山道のせいだと思ってた」
 ディンは素直に思っていたことを口にする。と、ふり返ったルーシェは苦笑し、寝てろと髪をかき混ぜるようにしてディンの頭をなでた。

 炎が周囲を暖かく照らしだしていた。炎のはぜる音に、ふくろうの低い鳴き声がまじる。幻妖が現れて逃げだした動物や虫たちが、森に帰ってきているようだ。
 傍らで赤々と燃える炎を見つめるルーシェは、物憂い感じではあるが表情は穏やかだった。山道で見せた激情が嘘だったかのように。
 何が彼女をあれほど怒らせたのか、考えてみるが想像もつかない。
「何をあんなに……怒っていたんだ?」
 山道では答えてくれなかった問いを、今なら教えてくれるだろうか。
 ゆらゆらと揺れる炎に照らされた繊細な横顔を、ディンは自分の外套にくるまって横になったまま見つめる。ディンの視線に、ルーシェは肩越しに目をくれたが、すぐ炎に視線をもどした。

「わたしは幻妖だ。別に他の幻妖に仲間意識があるわけでもないけどね、それでも自分たちを滅ぼすっていってる人間を前に、寛大でいろって?」
 ルーシェをはさみ、ディンとは反対側で寝そべっているブリリアントの背をなでながら、彼女は答える。子どもなど口先一つでだませると思っているのか、真偽を判断する力などないとでも信じているのか、大人はすぐに誤魔化しを口にする。
 しかし大人よりも子どもの方がずっと、嘘には敏感だ。
「だったら何故助けてくれたんだ?」
「だからブヒコさんが……」
「そうじゃなく、今のことだ。斜面を落ちて、熱があって、助けず放っておけば死んだかもしれない」
 じっと見あげる。本意をただす眼差しに、目だけで振り返ったルーシェは肩を竦めた。
「子どもがね、実力をかえりみず無茶なことしようとしてたら、怒ってでもとめるもんなんだよ、大人ってのは。両親にだって怒られなかった? ――もしかしてあの一行の中に?」
 その返事にしても、はぐらかそうとしているだけだとしか思えない。
 だったら答えたくないのだろう。そう見切りをつけ、ディンはルーシェの言葉に頭を振った。

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