職場環境

 私は階段である。名前はまだない。のちにスクリーン前階段という名を頂戴し、一躍有名になるが、まだ少し未来の話だ。
「いいなあ、君は。毎日毎日、そんなにたくさんの人間に使ってもらえて」
「君こそ、僕から見ればずいぶんと羨ましいがね。働きもせず、そうやって日がな一日、スクリーンを見つめていられるんだから」
 彼の自慢げな口調に、私はむっとした。

 隣りにいる彼はエスカレータで、彼にもまだ名はない。
 彼と私は、造られたときから肩を並べている。しかし、人間たちはみな彼ばかりを使用し、一向に私を使ってくれることはない。二人並べばきつきつの彼と違 い、私にはたっぷりと幅がある。だというのに、混雑時に行列が出来ていようと、あくまで人間たちは彼に固執し、私に足を向けることはないのだ。
 使われるために造られたのだ。なのに誰も利用しない。私の存在は無視され、あってもなきがごとき扱いを受けている。
 いやそれでも、私は必要とされて生まれてきた。そして必要とされているからこそ、存在を許されているのだ。

 人間は何でも他人と比べたがる。そして優劣をつけたがるのだ。人間はそれをライバルと言って有り難がっており、私たちにも分けてくれようとして、私と彼 を併設したのだろう。大変、有り難迷惑である。そんな人間の愚かしい考えに躍らされるのは、とても業腹だ。凛然と、私は私らしく構えていればいい。
 自分を諭し、己を奮い立たせてみるが、すぐに気持ちはしおれた。必要とされない自分を認めるのは、とてもつらいことである。
「人間はズボラだからなあ。楽できるチャンスを、決して見逃さないだけさ」
 などと、彼がわかったふうな口を利く。彼に、私のつらさがわかろうはずもない。
 だが、彼の言葉には、常に多くの人間たちに使用されている、経験者の含蓄があった。
 そうだ、私も嘆いてばかりではいけない。人間たちに愛される階段になるため、努力をしなければ。人間たちに使用されないものの行く末は、撤去以外にはないのだから。

 未来に危機感を覚えた私は、彼を見習い動いてみることにした。私が構えて動かないところが、人間たちのお気に召さないのだろう。彼と同じく動くことが出来たなら、きっと人間たちは私にも足を向けてくれるはずだ。
 最初は、わずかな身震いでしかなかった。しかし繰り返す間に、次第にコツがつかめ、徐々に動くことがうまくなった。
 私に乗った人間は、悲鳴を上げて喜んだ。私は彼のごとく上下には動けない。だが私の胴震いに、人間たちは大いに沸き、足を向けてくれるようになったのだ。
「ちょっと違うと思うんだがな」などと、彼が隣りで呟いた。私が胴震いできるようになって、人間たちが彼から足を遠ざけたことによる、やっかみだろう。 だって私は知っている。悲鳴を上げながらも、人間たちが何度も足を運ぶ乗り物があることを。目の前のスクリーンに、よく映っていたからだ。人間はそれを、 「ジェットコースター」と呼ぶのだ。

 がんばって胴震いを繰り返している私の元へ、たびたびTV局が取材にやって来るようになった。うちの一局が、ある日、着物姿の小柄な老婆を連れてきた。
「あの婆さまはヤバイぞ。大人しくしていた方がいい」彼が横でまた呟いたが、聞く耳を持つ必要を感じなかった。その頃には、彼を使用する人間などいなかったからだ。
 取材陣にも喜んで欲しくて、私はがんばって胴震いした。胴震いを繰り返し続けた私は、この頃にはかなりうまく出来るようになっていた。この取材が元で、また多くの人間たちがやってきてくれることだろう。経験上そのことを知っている私は、だから張り切った。
 私の上で老婆は、両足を踏ん張って奇声を上げる。私は老婆が喜んでくれているのを感じ、ますますがんばった。しかし足腰の弱った老婆には、少々激しさに過ぎたらしい。
 老婆は足を滑らせ、私から転がり落ちた。

 翌日スクリーンには、絆創膏やら包帯やらで痛々しい老婆が、泡を飛ばして私を責める姿が映し出された。深い恨みに成仏できない霊が、私に憑いていると言 うのだ。何のことだかさっぱりわからない。霊というのは、幽霊屋敷にいる、客を喜ばせるためにおどろおどろしい姿に扮した人間のことではないのか。
 私には廃棄処分の決定が下された。私を壊し、別の場所に新階段を造り直すというのだ。
 何故だ? みんな喜んでいただろう。私は喜んで欲しくてがんばったのだ。老婆だって、奇声を上げて喜んでいたではないか。
「君の誤解も仕方ないさ」と、悩む私に、彼がまた話しかけてきた。「僕たちの職場環境が悪かったんだよ。遊園地の最寄り駅で、遊園地の宣伝スクリーンばかり見上げてればね。でも僕たちは、遊園地のアトラクションじゃあないんだぜ」

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