Ⅲ.困った人たち(ⅳ)

忘れているはずだとばかり思いこんでいたのに、しっかり記憶をしていたらしい。
「……おまえ、忘れてたんじゃなかったのか」
「なんで?」
「だって、ソーレル行きが決まってからこっち、なにも言わなかったじゃないか」
「そんなの、おまえが隠したそうにしてたからに決まってるじゃねえか」
シュレンティスがあっけらかんと笑う。言葉の意味が飲みこめず、呆然とただ立ち尽くしているカザをさして、シュレンティスはリラに笑いかけた。
「聞いてくれよこいつ、借金のことがバレたらオヤジに怒られっから帰りたくねえんだぜ」
目尻に涙まで浮かべ、繊細な顔に不似あいなシュレンティスのばか笑いに、ようやくすべてがカザの中でつながった。
「し……知ってたのか!?」
「ったりまえだろ。何年つるんでると思ってんだ。もういい加減現実逃避はやめろ」
頭を抱えてしゃがみこんだカザの尻を蹴って、シュレンティスが先を促す。
「行くぞ、オラ」
「い……イヤだ。絶対帰りたくない」
「なにガキくせえこと言ってんだ。いつかはバレるんだ。覚悟を決めやがれ」
「会わなきゃバレない」
「一生会わねえつもりかよ、おい」

今度は帰るの帰らないのでもめ始めた、大人げないどころか子供のような男二人にリラはほとほと呆れ果てたように溜め息をつくと、屈みこんでカザに目線をあわせた。
「あのね、家があるなら帰った方がいいわ。まだ怒られると決まったわけじゃないでしょ?」
「怒られるっていうか、ねちねちいたぶられるんだ。ホントにもうイヤミたらしく」
「理由があるなら、話せばわかってくれるわ」
励ますように笑いかけられ、希望を胸に抱こうとしたが叶わず、カザは首を振った。
「どう考えたってそんな心優しいタイプじゃない」
遠いところに視線を馳せてフッと虚ろに笑ったカザに、リラは乾いた笑いをもらす。
「……一体どんなガンコオヤジなのよそれは――じゃなくて、ね、がんばってみて?」
まるで母か姉のように諭して、ね、とリラはカザの右腕を軽く叩いた。

瞬間、カザの体が強張った。
右腕に触れた温もりに、皮膚が粟立つ。そのぬるくやわらかい感触にぞっとした。
――バ…バケモノ!
脳裏に返るのは、悲鳴のような罵声。
体が反射的に動いていた。右腕に触れた温もりを闇雲に振り払う。
「触るなッ」
パシンと、音高く手がぶつかりあう。
「……え?」
拒絶された手の痛みより、なにが起こったのか理解しかねたようにリラが目を瞠る。その大きく見開いた目に、カザは我に返った。
指なしの革手袋をつけた右手に触られ、嫌悪感だけが先走って体がとっさに動いたのだ。
「……っつ」
カザは右手を左手で握り締め、リラから目をそらせないまま後退る。

「動揺してんじゃねえよこのスカタンッ」
言葉と同時に、その細腕のどこにそんな力があるのかという勢いで後頭部を殴られ、カザはつんのめった。
「い……てぇー! 今、目ン玉飛びだしかけたぞッ」
立ち上がって声を張りあげたカザに、水精はもう一発、今度は頭の天辺に拳を見舞う。
「痛えじゃねえだろこのボケッ。おまえが先に手ぇ出したんじゃねえか。ちゃんと謝れ!」
「あ……ごめッ、大丈夫? 痛くなかった?」
リラをふり返ってうろたえるカザの頭部を、三度ゲンコツが襲いかかる。
「痛くねえわけがあるかこのバカ!」
「だから謝ってるじゃないか」
「開き直んなクソガキ!」
「ああもうお願いだからいい加減にしてって。……――あたしったらホント、どこで道を間違っちゃったのかしら」
三度もめ始めた男たちにリラはがっくりと肩を落とし、魂の抜けそうなため息をついた。

「あの、ごめん、リラ。ホントに」
「ううん、気にしないでカザさん」
「カザでいい」
笑って頷いて、だがリラはすぐに真顔に戻った。
「でもね、悪いと思ってくれるなら本当にちゃんと家に帰って? このままドロボウが見つからなければ、まず疑われるのは旅人だわ」
疲れたように笑って帰宅を促すリラに、今度は逆らわずカザは神妙に頷いた。
「よかった。本当に今、普通の状況じゃないから。街中で使徒を見たっていう人もいるし」
「使徒を?」
声を潜めたリラにあわせて声を落し、眉根にシワを刻んでシュレンティスが聞き返し、カザもまた眉をひそめる。盗まれたものは、使徒までが自ら捜索に加わらなければならないほど大切なものだということだろうか。
「一体、祭社からなにが盗まれたんだ?」
問うたカザに、これは単に噂なんだけど、と前置きして、リラはますます声を潜めた。
「祭主が……さらわれたんじゃないかって」
「そりゃ、泥棒じゃなくて誘拐っつうんじゃねえのか?」
まったくもってもっともなツッコミだった。

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