Ⅲ.困った人たち(ⅲ)

 彼女の言葉に、薄暮の空に飛び出した飛竜の姿が脳裏に返る。カザは街のどこからでも見える祭社を、呆然と見上げた。
 ここ東のソーレル川も、サリジス街道、オリオ山、イデュル海も、祭社が置かれた場所はすべて国を隔てる国境である。祭社は信仰の場であると同時に、国境に面して国外に睨みを利かす防衛をも担っているのだ。
 祭事を司る者が祭主ならば、軍事を司る者は衛士と呼ばれる。
 各祭社に五人ずつ配された衛士は、軍隊でいえば将に当たる。兵である社兵を率いると同時に、何よりも彼等自身が一騎当千の兵(つわもの)なのだ。
 衛士は、祭主がその額に戴くものを左の掌に持ち、掌眼と呼ばれる第三の目をもってして、祭主、ひいては国を守るのである。
 そして、国防をも担う祭社の中でも特に軍事色が濃いのが、ここソーレルの青龍祭社である。
 というのも、ソーレル川を挟んだ東隣の国アルバファダルとは国交が正常でなく、小競りあいを続けているからだ。そのために青龍祭社の常駐戦力は国都に次ぐ。

 そこへ泥棒に入ろうというのだから、余程腕っ節に自身のある者か、大のつくバカかのどちらかだろう。
「そりゃあ……強心臓だな」
 心臓に毛の生えた蛮勇の持ち主らしき泥棒に、カザはため息をつく。
「でしょう? でね、飛竜にのって祭社を逃げ出したらしくて、これは撃ち落とされたんだけど、このドロボウと盗まれたものっていうのがまだ見つかってないらしくて、それでああやって社兵が探してるってわけ」
 女は社兵が好きではないのか、揶揄するように笑って肩を竦めた。
「厳つい顔した社兵に歩き回られるとお客さんが怖がって宿から出てこないから、こっちは商売あがったりなんだけど……普段から威張り散らしてる祭社が困ってると思うと、思わず拍手喝采したくなっちゃうのよね」
 どうもあまり好かれてはいないらしい。領主の不幸を笑って、女はそれより、と話を切り替えた。

「お兄さんたち、旅の人でしょ? 話を聞いてたら、まだ宿が決まってないみたいじゃない。よかったらうちに泊まらない?」
 女は通りに並んだ一軒を指し示す。軒先に下がった猫を象った木板には、黄金の山猫亭と店の名が書かれ、その下では店の看板娘なのか茶虎の猫が丸くなっていた。
「あたしはリラ。黄金の山猫亭は父がやっててね、部屋はそんなに広くないんだけれど、お安くしとくわよ」
「うわ、ホントに? 安くしてくれるんだったら、勿論お世話に……」
 なりますとも、と続けようとしたカザの言葉は、不意に首に絡んだ、蛇を思わせるしなやかな白い手にさえぎられる。とてつもなくいやな予感を覚えながらも目を向けると、肩を組むようにして左斜め下からのぞきこんだ小さな顔が、陰鬱な気をにじませてにやりと笑んだ。
「だからッ、一体何なんだおまえは!」
 その笑みに怯えて跳び退り、カザは動悸の速くなった胸を押さえて叫ぶ。
 最近はやりだした遠い西国の怪談本の中で、不幸な死に方をした女の恨みに満ちたような表情は、妙にシュレンティスにはまって本気で怖い。

「なんでだと。さっきも言っただろうが。宿に泊まるなんざ金のもったいねえことができっかッ」
 早くも喧嘩腰のシュレンティスに、リラが心底不思議そうに首を傾げる。もったいないと言ったところで、宿に泊まらなければ野宿するしか道はないのだから、不思議がるのも当然だ。
「あら、本当に安くしとくわよ? そりゃ、すかんぴんだとか言われたら困るけど」
「ほら、親切にこう言ってくれてるんだから、彼女のとこにしとこうって、シュール」
「言っとくがなリラ、カザはすかんぴんどころか赤字なんだぞ赤字! おまえも一生かけても返しきれねえ借金があるくせに、無駄金使おうっつうのはどういう了見だ」
「一生かかっても返しきれない借金って……」
 若い身空でどんな爛れた生活を送ってきたのかと、リラに不信も露わな目で見られて、慌ててカザは手を振る。
「ち…違うって。まったくの誤解だ」
「どこら辺が誤解だっつうんだ。純然たる事実じゃねえか」
「あれは不可抗力だ。だいたい無駄金って言うけどな、宿代は必要経費だろうが」
「どこが必要経費だ。まったくの無駄金じゃねぇかッ」
「それを言うなら今までの宿代はどうなる。おまえが毎回昼過ぎまでグータラ寝てたせいで取られた延長料金なんて、無駄金中の無駄金だぞ!」
「何言ってんだ。それこそ必要経費っつうもんだッ」
「なんだとッ」
「んだよッ」
「ああもういい加減にしてッ、お兄さんたち!」
 額を突きあわせて一歩も引かない、大人げない男たちの胸を押して引き離しながら、リラはぴしゃりと言い放った。何故宿を勧めただけでここまでもめられるのよ、と、こめかみを揉み解しながら呟いて、リラはシュレンティスを見上げる。

「シュールさん…だっけ? 訊いてもいい?」
「呼び捨てでいい」
「じゃあシュール。どうして今までの宿なら必要経費で、黄金の山猫亭だと無駄金なの?」
「リラのところが無駄金なんじゃねえよ、ソーレルだから無駄金なんだ」
 ますますわけがわからないと困惑を深めるリラとは対照的に、思い当たる節があるカザはまさかとたじろぐ。
 いやな予感ほど的中するもので、だって、とシュレンティスがカザを指差した。
「ソーレルにはこいつの実家があるから」
「それは……――確かにとてつもなく無駄金ね」
 もっともだと深々と頷くリラの横で、カザは呆然と相棒を見つめた。

Comments are closed

Hit Counter provided by Seo Packages
Web Design BangladeshBangladesh Online Market