Ⅰ.夕暮れ(ⅰ)

「眠い」
膝裏に届く髪は光を集めたかのようで、髪からのぞくのは先端の尖った耳、杏仁型の目は萌える新緑で、肌は白木蓮のようなやわらかい色あい。軟弱さと紙一重のところでとどまった細身の身体はしなやかで、顔立ちは人の手では作り得ない繊細な端麗さで、声は高すぎず低すぎず耳に心地よく響く。
そんな恵まれた資質にまったくそぐわない無頼な口調で愚痴りながら、水の精霊シュレンティスは丸めた背中で暮れかけた街道をよろよろと進んでいた。
「オレがこんなにも眠気と闘ってるってえのに、なんだってここの景色はこんなにも刺激にとぼしくて辛気くせえんだ」

晩夏。日差しはまだまだ厳しい。が、青龍祭社領ソーレルへと続くこの街道は、幾本もの川が合流した大河に沿っているので、河を渡る涼風にかなり暑さは軽減されている。まして朝夕はかなりしのぎやすくなっていて、季節が急速に短く豊かな秋へ、長く厳しい冬へと移行していくのが肌に感じられた。
陽だって一日ごとに短くなっている。今も熟れた果実のような太陽が空を赤く染め右の地平線へと半ば沈み、河向こうの地平線から夕焼けを駆逐するように徐々に青みが増していた。
空の複雑な色を映して河が蕩々と流れ、流れに身を浸し、空の赤と青の境目のように優美な石造りの城が建っていた。
だが、そんな一幅の絵のような景勝は、美の女神に贔屓されまくったような容姿に、およそ美を解す精神を持ちあわせない水精には、なんの感動ももたらさないようだった。
「あの朱い太陽も涼しい風も川の音も、挙げ句に鐘の音までもがオレの眠気を誘いやがる。絶対オレに恨みがあるに違いねえ」
自然の化身である精霊として、自然に恨まれる自分というものに疑問を覚えたりはしないのか、何もかもに毒突かずにはいられないらしい水精は、ひたすら頭の軽そうな愚痴を垂れ流す。
「ああ、もうダメだ。眠い! オレを寝かせてくれ」

「あーはいはいはいはい、いくらでも好きなだけ寝てくれていいから……」
耳にタコができるほど、現在進行形で聞かされ続けている相棒の口癖を、真剣に取りあってやる気には到底なれない。左は素、右は指無しの革手袋をつけた手を降参の形にあげ、カザ・ノイエはお座なりに返した。
ここクークトカ国では黒髪黒目が一般的だ。母がクークトカ人であるカザもまたその例にもれず、髪は黒々としている。ただ、青みがかった銀髪に、青い目の持ち主だったらしい父の血なのか、目だけが鮮やかに青い。歳はちょうど少年から青年への過渡期である一八歳。細身の割に高さのあるシュレンティスよりも頭半分ほど高く、だが彼とは違い、肩や胸も厚みのある男らしい体型をしていた。
「――ソーレルにさえ着いたらな」
「ジョーダン! もつかよ、そんなにッ」
「そんなに……っておまえ、そこに見えてるだろ、そこに」
河の中に建つ城、それが青龍祭社であり、そのお膝元――西岸に広がっているのが青龍祭社領ソーレルだ。あと半刻もかからずたどり着けるだろう。それをさも地平線の向こうでも見晴るかすかのように目を細めて見やり、シュレンティスは絶望的なため息をついた。
「もたねえ…あと半刻もなんて、死んでももたねえ」
「……おまえな」
力無く頭を振った眠いが口癖の相棒は、いつでもどこでも永眠できそうな勢いで爆睡できるのが特技で、殴っても蹴っても首を絞めたって起きないほど寝穢いのが数ある中でも最大の欠点だった。それも故あってのことだと知りつつも、先を急いでいる身としてはそうそう寛容でもいられない。

「とりあえず歩け、な? 歩けば着くから」
「だから無理だって言ってんじゃねえか! だいたい、日の入りとともに寝る。それが健全な生活ってもんだろッ」
「おまえな。そういう大きな口は、一度でも日の出とともに起きてから言え! 前の宿場町からソーレルまでなんて半日もかからずにたどり着ける距離だってのに――見ろ」
腹立ちまぎれにシュレンティスが地面を蹴りつけた。だが癇癪(かんしゃく)を起こしたいのはこっちの方だ。カザは不機嫌を隠さず、立てた親指で夕日を示す。
「おまえがグータラ昼過ぎまで寝てるから、こんな時間になったんだぞ。さっさと歩かないとソーレルの閉門に間にあわないだろうが」
「しょうがねえだろ! 眠いもんは眠いんだ」
子供のように足を踏み鳴らすシュレンティスに、早々にカザは堪忍袋の緒をぶち切った。
「開き直るなグータラ! うだうだぬかしてないで歩け! こんな街の目と鼻の先で野宿なんて、ただの行き倒れだぞ! 格好の笑いもんだからな」
「イヤだ。もう一歩だって歩けねえ!」
子供のワガママそのものの言葉を恥ずかしげもなくわめいて、シュレンティスはばったりと道の真ん中に倒れこんだ。通行妨害もいいところだが、悲しいかな、日暮れの街道にはとうに人影さえない。

シュレンティスに初めて会ったのは、カザが八歳のときのことだ。世界一高いといわれる山の頂に、魔法使いの学び舎ヴィストールはあり、そこにカザが入学して半年ほど経った頃のことだった。
人間とは違う寿命を持つ精霊のシュレンティスは、そのときすでに今と同じ青年の姿で、当時の彼は確かに、カザの目に大人の男として映っていたのだ。だというのに、今の彼が図体のでかい子供にしか見えないのは、どういったわけだろうと、眉間のシワをいっそう深くしながら、カザは相棒を見下ろす。
優美な容姿にかけらも似あわぬ、夕日に赤く染まった髪を地面に惜しげもなく投げ出した、そんな姿でさえやはりきれいだったりするのだから、まったくもって始末に負えない相棒である。が、ここで甘やかすと背負えだなんだとつけあがるのは明白だ。カザは重くため息をついた。この手段だけは使いたくなかったが、仕方がない。

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