「そう……ですか」
はるか昔に失われた剣を、寺院は今でも探している――が、さして真剣ではない。失われてひさしく、手元にないことが常態になってしまっているのだ。
いや剣は半ば伝説と化し、実在するのかさえ疑問視されている。ディンも古木の幻妖に話を聞くまでは、紫煌石と対になる剣など箔づけのための方弁だと思っていた。 それはここエスタークの寺院の司祭も同じだったようだ。
予想通りの返答だった。それでも残念に思う気持ちはおさえられなかった。
「お役にたてずもうしわけない。しかし我らの偉大なる同志はかならず、一刻も早く総本山に帰れるように尽力いたしましょう」
気づかう声に、ディンは司祭をあらためて見る。ディンが着ている旅の略装とは違い、司祭は上衣の裾と袖の袂が長いお仕着せを着て、質素だが、掃除のいきとどいた部屋で、椅子にきちんと背筋を伸ばして座っていた。
卓のうえに置かれた手はシワ深く、髪も真っ白の老翁だ。人のよさそうな顔と、おだやかに澄んだ湖を思わせる目が、彼のひととなりを思わせた。
そんな老司祭に労わるように微笑みかけられると、いつまでも落ちこんではいられず、気持ちを切りかえる。よろしくお願いしますと頭をさげたディンに、司祭はうなずいた。
「しかし、貴公はこれかどうなさるおつもりですか?」
ガリエラへの旅をつづけますと答えると、老翁の柔和な容貌が心配にくもった。
「貴公はまだ成人前でございましょう。ガリエラに現れた幻妖は、それは強大だと聞きおよんでいます。エンデ教区長は金獅子どのの召還を総本山にお求めになり、総大司教もお許しになったとか。彼の方が指揮を執らねばならぬほど、ガリエラの幻妖は常になく手強いということでしょう。せっかく助けていただいたお命、大事になさるのが失われた命に対する努め」
司祭の説教はもっともだ。心配されているのもわかる。だが、素直にうなずけない。
「おっしゃる通りだと思います。ですが、俺は幻妖に襲われることのない世界にしたくて、そのために総本山をでてきました。みんなはわかってくれたからこそ、俺を連れてきてくれました。だから俺は、自分の意志を貫くことこそが、みんなに対する感謝になると思っています」
答えたディンを、司祭がじっと見すえる。覚悟のほどを知ろうとする彼の眼差しを受けとめ、ディンはまっすぐ見つめ返した。
視線を交えたまま、どれくらい経っただろう。
ふと、つめていた息を開放すると、老司祭は穏やかに微笑んだ。
「あなたの志が叶うよう、私も陰ながらお祈りしましょう。ですが、どうぞお気をつけて」
感謝を述べると、司祭の笑みにほろ苦いものがまじった。
「いいえ。まだお若いあなたがたいへん険しい道をお進みになろうというのに、なにもできない我が身を情けなく思います」
「そんなことはありません。司祭さまがそうやって、お説教で人々の心を癒し導いておられるように、俺は、俺のできることをしようと思っているだけです」
「その通りですね。ひとは自分にできることを精一杯努めるしかありません。ですが手段は違っていても、心は同じくしていたいと思います。私もできる限り剣の情報を集めてみましょう。古い文献をあたれば、なにかわかるかもしれません」
「ありがとうございます。ガリエラの帰りに、また訪ねてもよいでしょうか?」
ぜひといってくれた老司祭に、礼と一晩の宿を請うて、席を立つ。部屋を退出しようとふり返ったとき、扉脇に飾られている絵に目をとられ、ディンは立ちどまった。
ルー……シェ?
どこかの庭園だろうか。奥に向かって淡い色の花をつけた木が等間隔に並び、手前には噴水がある。噴きあげる水のかたわらに立つのは長い銀糸の髪の華奢な乙女だ。柔らかい陽射しにきらめく水飛沫を、乙女はじっと見つめていた。
大きな絵ではない。ディンにも抱えられるほどのものだ。これくらいの画布で遠景とくれば、目の色や面立ちまでははっきり描かれていない。
だが見た瞬間、直感的にルーシェだと思った。
「ああ、よい絵でしょう。私はこの絵を見ていると、とても落ち着いた気分になるのです。ずいぶんと昔の絵で、エスターク公国の最後の姫君を描いたものだとか」
「エスターク? この里の名も確か……」
「そうです。この里の名前もエスターク。ここは昔、エスターク公国の都だったそうです。今は単なる田舎ですけどね」
ディンを手招いて部屋をでると、廊下を老司祭は先にたって歩いていく。
「昔、最後の大戦と呼ばれるとても大きな戦争があって、公国は滅びたのだそうです」
戦争……と、聞いたことがある言葉をディンがくり返す。司祭はふり返ってうなずいた。
「学習会で習われたでしょう。国家間の武力衝突をそういったのです。国というのは、都市や村がいくつも集まってできる集合体のことです。
まだ寺院が今のように力をもっていない時代のことです。大小の国がいくつもあって、違う国に生まれたひととひとが、自国を豊かにするためだったり守るためだったり、国の威信や、信仰する神、思想の違い、ときには肌や髪、目の色が違いから武器をとり、殺しあうのだとか。何百、ときには何千という人間が亡くなるのだそうです。
昔はそんな戦争が、頻繁に行われていたようです」
「実際にそんなことがあったのでしょうか? 先生に話を聞いても信じられませんでした。昔のひとは話しあうことをしなかったんでしょうか。目や髪や肌の色の違いなんて、それが何故殺しあう理由になるんでしょうか?」
個人間での殺人の話は、人々の話を広く聞き、さまざまな仲介を務める寺院では、悲しいことだが耳にする。端から見れば些細なことで諍い、ときとして刃傷沙汰にまで発展し、大きな悲しみを生み、禍根を残す。
それを国家、また何百何千という規模で行うなどと、ディンにはとうてい信じられない。
「幻妖のために、多くの命が呆気なく失われます。幻妖に対する人々の恨みは、とても深い。なのに同じ人間同士で多くの命を奪いあうなど、考えられないことです――ああ、あそこです」
司祭が声をかけながら、突きあたり扉を開ける。さんぜんと光に射られて、ディンは目を細めた。屋外はよく晴れていて、昼下がりのまばゆい陽光は、薄暗い場所に慣れた目には酷だった。手でひさしをして表にでると、シワ深い手が示す方向へとディンはくらむ目を凝らした。
「……丘?」
「ええ。城跡なのですよ。もし興味がおありだったら、登ってごらんなさい」
「あの絵の庭も、あそこにあったんでしょうか?」
「そうかもしれませんね。あの丘に立つと、国が滅びるとき、ルシェーラ姫が何を思っていたのかと、思わずにはいられません」
司祭の言葉に、ディンは打たれたように彼を見上げる。
「……ルーシェ」
「そう呼ばれていたかもしれませんね」
つぶやいた言葉を聞きとめて、司祭は微笑んで肯定してくれた。けれど表にはださず否定し、ディンは丘を見つめる。
建物どころか樹木も見えない、なだらかな丘。
遥か昔に戦争で滅んだ国――エスターク。その国の最後の姫――ルシェーラ。
ルーシェは幻妖だ。彼女がおよそ幻妖らしくなく人間じみていたとしても、彼女いわくでき損ないだったとしても、彼女が幻妖である以上、どれほど絵の乙女がルーシェを彷彿とさせようと、あくまで別人でしかない――はずなのだ、普通に考えれば。
ディンの脳裏に亡国の姫君の絵は、強く強く焼きついてはなれなかった。