番外編

「ねえ、見てよアキーム。ジャックから返事が来たのよ」
「へえ、手紙を書いたのかい?」
 振り返った彼に、ジャックから来た絵葉書を渡しながらうなずいて、私はふふっと笑う。
「うん、あのね、『涼やかな風にこおろぎの声が聞こえてくる季節になりましたが、もうそろそろ帰ってきますか?』って」
 暑いのが苦手な友人のジャックは、一年の大半を海外で過ごしている。案の定、彼の手紙の消印は今は真冬のオーストラリアになっていて、絵葉書の表ではジャックが雪の中で笑っていた。それも一面の銀世界の中にいるとは思えないような、風邪を引くどころか凍死してしまいそうな薄着で、だ。
「へぇ、なになに。『こおろぎが鳴いていようと、そちらは私にはまだまだつらい季節です』?」
 葉書の文面を読み下したアキームは、小さく噴き出した。
「それは仕方ないね。秋とはいえ、彼の適温にはまだまだ遠く及ばない。彼の適温は冷凍庫の中だからね」
 すました顔で説明してくれるアキームに、私もすまし顔でそうね、とうなずいてみせる。
「仕方がないわね、今の気温じゃ体が痛んでしまうものね」
「そうだね、彼は究極の暑がりだからね」
 すました顔でうなずきあって、そして私たちは顔を見合わせて笑いあった。
 暑いのが苦手なジャックは、いつも寒いところを転々としている。暑いのも嫌いではないそうなのだが、なにせ体には大きな負担なのだ。だって彼は、生き物としての生をすでに終えた、生きる屍《ゾンビ》なのだから。

番外編

後編

 ニンニク入りのエサを与えた鶏の首に牙を立てた途端、アキームは雷に打たれたように一回大きく跳ねた。続けて激しく痙攣し、そして昏倒した。その間私は、怖くて、駆け寄ることさえできなかった。
「飲んだ量も少なかったようだし、数日もすれば目も覚めるだろう」
 苦り切った表情でそう言ったのは、吸血鬼族の医者だ。
「それにしてもバカなことを考えたものだな。吸血鬼がニンニクを食べようなんて」
 彼に睥睨されて、私は言葉もなかった。
 なぜ止めようとしなかったんだろう。吸血鬼のニンニク嫌いは、アレルギーみたいなものだってわかってたのに。下手したら命がけだってこともわかってたのに。
 胸の中に不安や後悔がいっぱいいっぱいに詰め込まれて、心臓が痛かった。一息ごとに、ハンマーで殴られているみたいな痛みだ。今でも十分に心臓が破裂しそうなのに、なお不安と後悔はどんどん胸の中で増殖していく。
 アキームが倒れて、もうすでに一週間だ。けれど彼の意識は戻らない。私は彼がベッドに使っている棺の傍で、ひたすら目覚めるのを待つしかできなかった。
 このまま彼が目覚めなかったらと考えると、心臓に杭が打ち込まれたよう激しく引きつって、堪えきれずぼろぼろと涙があふれた。
 あなたが灰になってしまったらどうしよう。
「アキーム……」
 細い何かが、そっと頬に触れる感触に顔を上げた私は、驚きに目を瞠った。心臓がひとつ、弾けそうなほど大きく脈打って、私は胸を押さえた。
「アキ……ッ」
 のどに声が絡む。感極まりすぎて、うまく言葉が出なくてあえぐ私に、アキームのやせ衰えた端整な顔が微笑んだ。彼の笑みを見た瞬間、私の中の箍が外れたのがわかった。それでなくても壊れていた涙腺が、とうとういかれたらしく、どっと涙が溢れ出す。
 目が覚めたんだ。そう思っただけで、胸に温かさが広がった。このままもう、目覚めなかったらどうしようって、ずっと胸を絞めつけていた不安が、一息ごとにほどけていく。
「泣いてる顔もかわいいなーなんて、俺って最低かな?」
「ばか! 私がどれだけ心配したと思って……ッ」
 再び声をのどに絡ませた私に、アキームが困ったように落ち窪んだ目を細めた。
「でも俺は、君が好きなものを食べてみたかったんだ」
「アキーム?」
 困惑して、私は彼を見つめた。
「君はいつも俺のためにいろいろしてくれるのに、俺は役に立たないどころか、君にいつも我慢させてばかりだろ。好きなニンニクを好きなときに、食べさせてあげることもできない」
 アキームは、あえぐようにして息をついた。つらそうな様子に、彼の言葉に、私は驚いていた。
 確かに家畜の世話とかは私が一人でしているし、一緒の時間を過ごすこともなかなかできない。何せ彼は昼間は棺の中で寝ているから。一緒にいられない時間をさみしく感じるときだって、ないとは言わない。でもそれは、彼が吸血鬼なのだから仕方がないことだもの。私はそれでも彼と一緒にいたいし、彼のためにできることがあるのは嬉しい。
 その反面、自分にできることがないと彼がつらいを思いをしているなんて、思いもしなかった。
 だけれど。
「だからせめて、君の好きなニンニクを一緒に食べられたら、君は喜んでくれないかなって」
 いきなりそこに思考が発展するのだけは、よくわからなかった。
 けれどそれが彼の性格で、私そんな彼を愛している。
 涙を拭って、私は怒ってみせる。でもつい顔がほころんでしまって、あまり成功したとはいえなかった。
「ばかね。私たちくらい似合いのカップルはいないわよ」
「そうかな?」
 不安そうな表情で首を傾げるアキームに、私は頷く。
 私たちが二人とも吸血鬼だったら、私たちは二人で血を吸ったあとの大量の肉を抱えて、立ち往生しなければならなかったはずだわ。肉屋を経営するなんて方法もなくはないけど、まさか夜しか開店していない肉屋だなんて、どう考えたって変でしょ。
 私たちが二人とも、私と同じ種族だったとしても、食糧を手にいれるために立ち往生したわ。あまり大量な肉をしょっちゅう買い込んでも、人間に変な目で見られるものね。それに私の種族は、どうしても新鮮な肉じゃないと、体が受けつけないから。
 そう説明すると、アキームはちょっと笑った。
「そうかもね」
 私は力強く頷く。
 人間たちの世界で生きていくためには、私たちは結構いいカップルだと思うのよ。
「あなたが吸血鬼で、あなたがすべて血を吸ったあとの肉を私が食べて。私たちくらい食べ物を粗末にしないカップルなんて、そうそういないと思わない?」
 だって私は、新鮮な死体しか食べられない、屍食鬼《グーラ》なんだから。

後編

中編

「載って……」
 私は料理の本を前に溜息をつく。こぼれ落ちた溜息が、自分の耳にも重く地を這うようで、ますます気が重くなった。
「……ないわよねぇ。吸血鬼でも食べられるニンニク料理なんて」
 洗濯や掃除、家畜の世話を終わらせて、ちょっと早めの昼食に、買ってきた料理の本を引っ張り出してきたのはいいものの、載ってないのよね、ニンニク料理なんて。私はまたひとつ、溜息をついた。まあ、予想はしてたけどね。
 いや、もちろん、ニンニクを使った料理はあるの。けどね、どれも吸血鬼が食べられるとは思えないんだよね。だって、基本的にニンニクって、スパイスでしょ。お料理を美味しくしたり、肉の臭みを消したり。
 でも吸血鬼はこの匂いがダメなわけで、だけどこの匂いが食欲をそそるわけで、匂いを消しちゃったら、それって別にニンニクじゃなくてもいいって話で……。
 だいたいねぇ、吸血鬼がなんだってニンニクを食さないといけないわけ? 食わず嫌いだなんていうけど、どっちかっていうとアレルギーの方に近いでしょ。吸血鬼がニンニクをダメなのって。
 で、たとえば、蕎麦アレルギーだったり、卵アレルギーだったりする人が、蕎麦なり卵なりを食べるのって、下手したら命がけなわけじゃない? そんなアレルギー持ちが対象の食材を食べられないのって、これはもうどうしようもないことでしょ。それってもう、食わず嫌いとはぜんぜん違うレベルの話だと思うのね。
 腹立ち紛れに頭の中で理屈を捏ね回しつつ、本のページをめくり、私はニンニクの効いた骨付き肉をとって口に運ぶ。ひとりぼっちの食事ってさびしいんだよね。でも、吸血鬼であるアキームが、昼間に起きてるなんてのは自然に反してるわけで、だから必然、昼はひとりになってしまう。
 あーあ、夜型の生活に変えようかな。昔と違って、今は深夜まで営業してる店って普通だし、生活に不便はないわけなんだから。
 アキームと一緒にブレックファーストをしようと思えば、どうしても夜明け前のあんな時間になる。だけどはっきりいって、朝、かなりきついんだ。いっそ彼にあわせて夜型に切り替えれば、もっと一緒にいられるんだし。
 そう考えて、私はまた溜息をつく。そういうわけにもいかないか。だって家畜の世話があるもの。
 吸血鬼であるアキームを養っていくには、家畜の世話は必須なのよね。まさか、手当たりしだい人間を襲うわけにはいかないでしょ。
 ああ、もちろん、吸血鬼が血を吸ったからといって、吸血されたほうも吸血鬼になるなんていうのは、まったくの迷信だからね。そんなことでねずみ算式に吸血鬼が増えてたら、今頃とっくに人間は滅びてるし、同族ばかっりになった吸血鬼の方も、食料がつきて当の昔に滅びてるはずなの。
 だから人間を襲うわけにはいかないっていうのは、あくまで社会的にってこと。夜な夜な現れては首筋に噛みつく男なんて、変質者としてすぐに指名手配されるだろうし、うっかり血を吸いすぎて殺しちゃったりした日には、人間社会で生きていけなくなっちゃう。人間なんて、マイノリティには冷たいんだから。存在を知られたら人間に狩られて、あっという間に私たちなんて滅びてしまうわ。
 そんなわけで、食糧として鶏やアヒルを中心に、豚や牛なんかも数頭飼ってるの。鶏とかアヒルなら一羽分がアキームの一日の食事量になる。で、残りの肉を私が食べるってわけ。
 だけど、まさか家畜にも夜型の生活を強要するっていうわけにもいかない。第一、夜型の鶏とか豚とかって、あんまりおいしくなさそうな気がする。だって、とっても不健康そうだもの。
 それに。
 またひとつ骨付き肉をとって、かじりつく。ほっぺたを押さえて、ニンニクの効いた鶏肉の味を堪能する。あーん、ニンニクが効いてておいしー。やっぱり、昨日からニンニクをすり込んでおいたかいがあったわー。
 私って、ニンニク好きなんだよね。朝のマリネだって本当は、ただのしょうゆじゃなくて、すりおろしたニンニクを加えたニンニクじょうゆで食べたかった。でもまさか、アキームの前でニンニクじょうゆは、さすがにやばいものね。
 大好きなニンニクを食べようと思えば、アキームが眠っている昼食のときくらいしかチャンスはない。それでも、食後には窓を開けてしっかり換気をし、匂い消しをまくという念も入れているのよ。決してアキームはいやな表情を見せたりしないけど、それだけしてもなお、彼にはわかってしまうみたいで、よく複雑そうな顔して部屋の匂いをかいだりしてる。
 そこまで敏感な相手に、どうやったらニンニクの臭いを誤魔化せるんだろう。何もいい方法が思いつかなくて、私はばったりと机に倒れ込んだ。
 だいたい、そこまで嫌いなものを、どうして食べたいんだろう。子どものころから変な人だとは思ってたけど、ホント、何を考えているんだか。
「ニンニクかぁ」
 かじりかけの、ニンニクをすり込んだ生肉をためつすがめつした私は、ふっと閃いたアイデアに顔を上げた。
 ニンニクって、必ずしもそのものを食べるわけじゃないわよね。焼いたり、しょうゆに漬け込んで食べたりもするけど、肉にすり込んだりもするわけでしょ。
 だったら、ニンニクをエサに混ぜ込んで、そのエサを食べた家畜の血を吸うっていうのはどうかしら。それって、間接的にニンニクを食べたことにならない? この方法だったら、匂いの問題だってクリアできないかな。息がニンニクくさいようなら、鶏に口中清涼剤でも飲ませとけばいいわけだし。
「ヤだヤだ、もしかして私ったら天才?」
 ふふんなんて浮かれながら、私は早速自分の思いついたアイデアを実行すべく、席を立った。

中編

前編

「正気なの?」
 私は呆気に取られて、対面式キッチンの向こう側でスツールに座っているアキームを、まじまじと見つめる。
 艶のある髪は、赤みを押さえた落ち着いた金色。長いまつげに縁取られた目も金。白のシャツに、ノータイでベスト。そんな格好がとても似合う、上背のある逆三角形の締まった体。彫りが深くて端整な容貌はノーブルで、だけど口元にのぞく尖った八重歯――っていうより、牙って表現する方がぴったりくるんだけど ――がワイルドさを添え、アンバランスなところが彼の魅力になっている。
 そんなイケメンくんのアキームだけど、その口から飛び出してくるセリフは、びっくり箱もコメディアンだってきっと真っ青だ。
 私の問いに、彼はにっこり笑って頷いた。
「もちろん」
「……アキーム」
 溜息をついて、私は肩を落とす。何だかどっと疲れた。
 あのね、私ってば、頷いて欲しかったわけじゃないのよ。それもそんな嬉しそうに、どこかとても素晴らしい名案でも思いついたみたいな、批判されるなんて思いもよらないような笑顔で。
 昨日食べ残してしまったお刺し身を、友だちに勧められて以来、気に入って使用しているおしょうゆを添え、彼の隣、私の席へと配膳する。生ものだから、昼に持ち越したくない。それから冷蔵庫から紙パックを取り出すと、赤くてとろりとした液体をグラスに注いで、彼の前に差し出した。
「あのね、考え直した方がいいと思うの」
 私の朝ご飯で、彼の夜食の支度を終え、定位置に腰を下ろした私を見上げ、彼は顔を曇らせた。
「どうして?」
「どうしてって……」
 思わず絶句しかける。容姿に反して、何故だか脳内は非常に天然な彼は、こうして私をたびたび二の句も継げないような状態に、追い込んでくれたりする。でも、ここで黙り込むわけにはいかない。私は拳を握って自分を奮い立たせると、彼を改めて見た。
「だって、嫌いでしょ。アレ」
「まあね。でも、食わず嫌いはよくないと思うんだ」
 彼はさしたストローでグラスの中の粘度の高い液体をかき混ぜながら、ちょっと困った感じで答える。
「食わず嫌い……ねぇ」
「うん。子どもじゃないんだからさ。食べられない、なんて最初から決めてかかるのって、やっぱり人間関係にもでるだろ」
 うーんと唸ると、私は行儀悪く、フォークを持ったまま頬杖を突く。
 彼の考えは立派だと思う。うん。食わず嫌いはよくないわ。食べれるなら食べた方がいいと思う。それはもちろんよ?
 でもね、そこでちょっと考えたほうが、絶対いいと思うのよ。それって本当に食わず嫌いなの? ってことを。
 窓へと目を向けると、レースのカーテン越しに見える庭はまだ薄ぼんやりと明るい程度で、朝というにはかなり早い時間だ。
 日の出にはまだ遠いけど、夜より朝という方が適した時間に夜食を食べるのは、彼が夜型の生活に明け暮れなければならない特殊な労働に従事している――なんてわけではもちろんない。たぶんもうわかっていると思うけど、実は私の彼アキームは、吸血鬼なのだ。
 容姿的にはね、吸血鬼の名にちっと恥ずかしくないと思うの。でも、どうしてこう脳内は、非常に吸血鬼の三文字からは想像もできないような天然なんだろう。
「だめ……かな?」
 納得のいかないものを感じながら唸っていると、彼が上目遣いに聞いてくる。ヘビに睨まれたカエルよろしく、私は追いつめられた。ヤだ、そんな顔されたらダメだなんて、言えるわけないじゃない。
 アキームの金の瞳に見つめられて、私は溜息をつく。仕方ないなあ、もう。
「方法、考えてみるけど、あんまり期待しないでよ」
「うん、わかった。ありがと」
 嬉しそうにストローに吸いついているアキームは、ダメだったときのことなんて欠片も考えてなさそうで……。
 あーあーもう、ホントにホントにホントにホントに!
 何だって吸血鬼が、ニンニクなんて食べたがんのよぉ。

前編